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コラム

若き左腕、一軍までの軌跡
――石川達也、待望の初登板へ

2022/07/11

 先週火曜日のゲームが雨天中止となり、5連戦となった1週間。ベイスターズは負けなかった。

 うち3試合が延長戦にもつれ込んだが、3勝2分で乗り切り、これでセ・リーグ4位に浮上した。首位スワローズの背中は依然遠いものの、3位のカープに0.5ゲーム差、2位のジャイアンツにも2ゲーム差まで迫っている。

 計52イニングを戦う過程で、マウンドに立ったリリーフ投手はのべ19人にのぼる。ブルペン陣が支えた無敗の5日間とも言えた。

 ただ、若い左腕の登板機会は最後までめぐってこなかった。

 石川達也。育成選手として昨シーズンから入団し、今年6月に支配下登録を勝ち取った。7月5日に初の一軍昇格を果たした24歳は、連戦の合間、こう話していた。

「早く投げたい。うずうずしてるっていうよりは、一軍で投げるのは初めてになるので、相手チームのバッターにどれだけ通用するのかなって。そういうワクワク感のほうが強いです」

 やがて来るデビューの瞬間を、静かに待ち続けている。

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アマ時代に経験した挫折。

 横浜市の強豪、中本牧リトルシニアから、横浜高、法政大。多くのプロ野球選手が通ってきたアマチュア球界のエリート街道を、石川も歩んだ。

 だが、道の途中で挫折も味わった。「ずっと、高校からプロに行きたいと思っていました」と石川は言う。

 高3の夏、激戦の神奈川大会を勝ち抜いて甲子園に出場した。全国の舞台でアピールし、プロ志望届を提出する。そう思い描く石川の前に立ちはだかったのが、大阪代表の履正社だった。

 先発としてマウンドに立ち、1-0で迎えた2回。走者を溜め、8番打者に逆転の3ランを打たれた。

「試合前の分析で、注意するべきバッターとしてマークしていたのに、簡単にストライクを取りにいってしまった」

 1回2/3を投げて5失点で降板。寺島成輝を擁する履正社に完敗を喫したことで、進路に対する考えを改めざるをえなかった。

 法大に進み、同窓の鈴木昭汰、早稲田大の早川隆久、慶応大の木澤尚文ら同世代の好投手に刺激を受けながら研鑽を積んだ。そして、スカウトの視線が熱を帯びる最終学年――その春に石川は左手首の骨折という大ケガを負ってしまう。

「3カ月で復帰して、試合にも出ましたけど、最終学年の3カ月は長かったかなと思います。(ドラフトで指名されるのは)正直、もう無理かなと……。それでもあきらめずに、最後までやり抜きました」

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石川が考える「自分の持ち味」。

 ドラフト会議当日は、祈るような思いで迎えた。

「どこの球団でもいいから呼んでほしい……」

 鎬を削った選手たちが次々と指名され、長い時間が過ぎた。育成ドラフトに移り、そこでようやく石川達也の名が読み上げられた。

「入れさえすれば、あとは自分次第」。ベイスターズと育成契約を結ぶと、3ケタの番号を背負ってプロ生活をスタートさせた。

 ファーム監督の仁志敏久やコーチ陣からは、「自分の持ち味をどう生かすか。どう磨いていくか」に意識を向けるよう、よく話をされたという。

 石川が考える「自分の持ち味」とは、「まっすぐで押し切るピッチング」だ。ファームで登板を重ねた昨シーズン、手ごたえを得た。

「まっすぐが通用していたな、と思います。13試合(投球回は30回2/3)しか投げられなかったんですけど、長打は3本だけでした。そういう数字にも表れていたので、自信になりました」

 そのストレートと組み合わせることで強力な武器となっているのが、チェンジアップだ。

「まっすぐよりも速く腕を振るイメージで投げています。同じチームの選手に聞くと『ボールが止まって、なかなか来ない』と話していました。しっかり奥行きで勝負できている」

 一方、1年目に明確になった課題として、石川は制球力とメンタルを挙げる。シーズン序盤の投球を、こう振り返る。

「自分がどのくらい通用するかわからなかったので、ランナーを出すとあっぷあっぷになってしまったり、自分で自分を追い詰めるところがありました。そういった課題に向き合って、いまでは『ゼロ(無失点)で帰れば大丈夫だ』というメンタルに変わりました」

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「ほぼ完璧なピッチングができました」

 1年目の防御率2.35と、結果は示した。ただ、右脇腹の肉離れで戦線離脱した時期もあり、背番号「101」のまま2年目に突入した。

「高卒の選手とは全然違って、大卒2年目で、もう時間がないという思いでした。なんとしても今年のうちに支配下に上がらないと、厳しいのかなって」

 焦燥感があったからこそ、ファーム組として臨んだ春の嘉手納キャンプでは練習にいっそうの熱がこもった。

 そんな石川に、3月、チャンスのときが訪れる。同6日、横浜スタジアムで行われたバファローズとのオープン戦で、登板の機会を与えられたのだ。

 本人いわく、「大ざっぱでマイペース」な性格。一軍に交じっての“初登板”でも緊張はしなかった。

「ハマスタで投げるのが(高3のとき以来)6年ぶりだったので、『やっと帰ってこれたなあ』っていう感じでした」

 久々のマウンドで躍動した。1イニング目にエラーと安打による走者を許したものの、後続を断って無失点。2イニング目は昨シーズンの本塁打王、杉本裕太郎からチェンジアップで空振り三振を奪うなど、三者凡退に抑え込んだ。

 石川は納得の表情で振り返る。

「エラーとヒットでランナーを出した以外は、ほぼ完璧なピッチングができました。オープン戦ではありますけど一軍の雰囲気を経験できたこと、しかも相手が昨シーズンのパ・リーグ優勝チームで、杉本さんとも対戦できたこと。すごく自信がつきました」

 お披露目は一度きりとなったが、一軍の首脳陣やファンの記憶に強い印象を刻む投球だった。

 オープン戦で得た自信は再びファームで投げ始めた石川の心に余裕をつくり、イースタン・リーグで開幕から好投を続ける要因となった。

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実家での洗車中に連絡が。

 さらに自信を深めた瞬間がある。

 5月20日、ライオンズとのファームゲーム。2番手として登板した石川は、5つのアウトのうち4つを三振で奪ってみせた。

 その中には、森友哉からの空振り三振も含まれる。石川は言う。

「森選手は一軍で3割以上の打率を残し、ホームランも20本以上、MVPも獲得したことのあるような選手。最初は雰囲気にちょっとやられてしまったけど、ぼくが投げたまっすぐの下を振っての三振が取れた。うれしかったですし、これまでの登板の中でいちばん印象に残っている対戦です」

 ちょうど1カ月後の6月20日、オフに合わせて石川は実家に帰っていた。洗車をしていると、マネージャーから電話が入った。

「明日、代表から話がある」

 支配下登録のことはまったく頭によぎらなかった。「おれ、何か悪いことしたかなと思いました」と石川は笑う。

 翌日、待ち焦がれていた朗報を直接耳に入れた。

「やっと来たか、という思いがいちばんに来て。今年は、去年以上にやってやるぞという思いが強かった。キャンプからマジメに取り組んできてよかったなと思いました」

 背番号95に変わって2週間後の7月5日。早くも一軍昇格のチャンスが舞い込んだ。ファームゲームのためジャイアンツ球場に到着するなり昇格の連絡を受け、驚きつつタクシーに飛び乗った。

「ハマスタに向かう車中では、ワクワク感がありましたね。やってやるぞって」

 大卒で同期入団の入江大生や牧秀悟から「がんばろうぜ」と声をかけられた。石川は言う。

「2人はずっと上で活躍していて、ぼくも追いつきたいなと思っていた。同期の大卒3人が揃ってやれているのは、ぼくにとってちょっとうれしい」

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シーズンが終わるまで一軍に食らいつく。

 昇格後の5試合はいずれも競り合う展開となり、初登板はまだ実現していない。ブルペンに控え、登板に備える先輩たちの姿を見つめながら過ごしてきた。

 そうしたなか、ふと不安に襲われた。7月10日ジャイアンツ戦の先発としてF.ロメロの昇格が決まったときのことだ。

 当然、現一軍メンバーの誰かがファームに行くことになる。それが自分である可能性は拭いきれなかった。

 そのとき、石川に声をかけたのは山﨑康晃だ。

「不安要素を一切持つんじゃない。全部、プラスの方向に考えていけば大丈夫だから」

 石川は言う。

「受け身になっていたところだったので、すごくありがたい言葉をいただいたなと思います。もう一回食らいついて、絶対に生き残るんだっていう気持ちが強くなりました。今シーズンが終わるまで、一軍に食らいつくのがベスト。がむしゃらにやっていきたいです」

 緩急自在の投球でいっきに台頭してきた左腕。一軍のマウンドでそのヴェールを脱ぐ瞬間が待ち遠しい。

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