コラム
経験が輝くとき
――伊藤光の言葉とリード
2022/09/12
9月9日のタイガース戦に快勝した直後、横浜スタジアムのロッカールームは男たちの笑顔で満ちていた。皆が見つめる画面には、ヒーローインタビューの様子が映し出されている。
牧秀悟、楠本泰史に続いて、5回2失点で勝ち投手となった上茶谷大河が口を開く。
「絶対に勝てるようにがんばるぞと意気込んでいったんですけど、皆さんわかってたと思うんですけど、初回は『終わったな』と思いました」
――そんな「終わったな」というところから、どう修正したんですか?
「2人フォアボール出したあとに、光さんがマウンドに来て、声をかけてもらって。それでよくなりました」
――どんな声をかけられたんですか?
「おい、お前、シバくぞ」
上茶谷の芝居がかった“再現”に、スタンドも、ロッカールームも大いに湧いた。その言葉を発したとされる伊藤光に、チームメイトたちの視線が集まる。
「そんなこと言ってたんですか!」
伊藤は笑みを浮かべて答えた。
「いやいや、言ってねえよ」
2018年シーズン途中に、バファローズからトレード移籍。ベイスターズの一員となって今年で5年目を迎えたが、度重なる故障が、安定した活躍を阻んできた。
昨シーズンに限っていえば、開幕前に左ふくらはぎが肉離れを起こし、終盤には脳震とうで登録を抹消された。その後は一軍に昇格することなく、シーズン終了を待たずして右肩のクリーニング手術に踏み切った。
2021年は「ケガに始まりケガに終わるシーズンだった」からこそ、2022年は「ケガせずに1年間、戦力になること」を最大の個人テーマとした。
しかし――。
開幕から2週間が経ったころ、またしても左足を異変が襲う。新型コロナウィルス陽性判定による多くの離脱者に交じり、伊藤は一軍から姿を消した。
「チームもなかなか勢いに乗れなくて、そこで離脱してしまった。ケガをしたくてしているわけじゃないんですけど、何とも言えないもどかしさがありました」
故障した箇所の回復は順調だったが、リハビリのプロセスを終えたその日に今度はコロナ陽性の判定を受ける。伊藤は悔しげに言う。
「『やってやる』という自分の思いとは逆に、邪魔が入ってくるというか……。そういう感じで(一軍復帰まで)2カ月半くらいかかってしまいました。ファームでは自分より年下の選手がほとんど。朝、準備する段階から姿勢を示すことも自分の役割だと思って、そういうところは意識して過ごしていました」6月21日に一軍に戻り、同23日のジャイアンツ戦でスタメンマスクをかぶった。開幕投手を務めながらも0勝5敗と苦しんでいた東克樹とのバッテリーだ。
東は毎回走者を背負いながら6回途中3失点と試合をつくり、伊藤は懸命のリードに加えて3本の安打を放った。7-5の辛勝で乗り切った一戦を、伊藤はこう振り返る。
「内容的に完璧だったかと言われれば、そうではなかったかもしれない。でも、勝てたことでちょっとホッとしたというか。打撃のほうでも3本出て、取り組んできたことが出せたかなって。きっかけになる試合だったと思います」
ただ、スタメン出場の機会は7月が5試合、8月が6試合と、決して多くはない。現状の一軍捕手は嶺井博希、戸柱恭孝との3人体制。いい競争関係が築かれているとの声も聞かれるが、伊藤の言葉には悔しさがにじむ。
「誰もが思うことで当たり前ではあるんですけど、実際は全部出たいです。各キャッチャーには必ず長所があるので、それによっていまは役割が分かれているような状況。その中で、自分がつかみきれていないのは、やっぱりケガで離脱してしまっているせいだなと思います。もちろん相手のチームと戦うわけなので、みんなで情報を共有しながら1つの勝ちのために動いているんですけど、自分としてはつかみ取りたいなという気持ちを持ちながら日々を過ごしています」
繰り返した「つかみ取る」という言葉。そのために生かすべき、自身の強みとは何だろうか。プロ15年目の33歳は控えめに話す。
「大した結果も出ていないので大きいことは言えないけど、踏んできた場数は違うかなと思います。そういう経験を生かして力を発揮できれば、それが自分にとっての強みなのかなって」
9月11日現在、伊藤は通算948試合に出場。嶺井(同460試合)や戸柱(同520試合)を大きく上回っている。それだけでなく、バファローズに在籍していた2014年には、シーズン終了間際までホークスと優勝を争う経験もした。
いま、スワローズを追いかけるセ・リーグ2位という位置にいて、当時を思い返すことがあるという。
「個人的には、若干似たような状況だなと思いながら過ごしているのは事実です。当時は若くて、まだ経験も浅くて、余裕がなかった。あのとき優勝できていたら……と、何回振り返っても思いますね。いまは余裕があると言ったら変ですけど、客観的に捉えられたり、試合の中での状況判断もできるようになったり、当時と違うところはあるのかなと思います」
9月9日のタイガース戦は、伊藤の捕手としての経験値が生きた試合と言えるのかもしれない。
先発の上茶谷は、一軍では6月8日以来3カ月ぶりの登板。伊藤は上茶谷からファームで取り組んできたことについての話を聞き、ブルペンでも球を受けて、配球のイメージをつくりあげてきた。
ゲーム直前のブルペンの感触も悪くなかったが、投球練習を終えてベンチへ向かう途中、上茶谷はどこか不安げだった。
「まっすぐ、どうですか」
「全然いいと思うよ。どうしたん?」
「なんか、あんまり……」
自信不足の影響は、試合の立ち上がりにもろに出る。初回先頭打者の中野拓夢を四球で歩かせ、2番の糸原健斗にも外角に大きく外れたボールが続く。
伊藤が球審にタイムを求めたのはこのときだ。
「実際、球の力の強さはありました。ただ、あまり見ないような抜け方をしていて。全然、コースから外れたところに球が行くような状況だったので、あれ? と」
駆け寄り「どうした?」と心配する伊藤に対し、上茶谷は「ヤバいっす」と繰り返した。久々に一軍のマウンドに立ち、平静さを欠く右腕。そこで伊藤は「おい、お前、シバくぞ」とは言わなかった。
「全然、大丈夫だよ。球は強いし、ラインが出てないだけだから。ランナーはかえされてもいいから、バッターの近いところに思い切り飛び込んでいこうよ」
打席にいる糸原、次打者の近本光司はともに左打者。バッターの近く、つまり内角に投げ込ませることで球の抜けを改善させる狙いがあった。そのコースを突こうと思えば、投手の集中力は自然と上がる。その効果も生かしたかった。
マウンドから離れる前に、伊藤はさらに言葉を連ねた。
「お前が過ごしてきた3カ月は、ここで終わるような3カ月じゃなかっただろ。『ヤバい、ヤバい』じゃなくて、打たれてもいいから思い切っていこうよ」
伊藤によれば、これが真実。それでも「あいつには『おい、お前、シバくぞ』と聞こえた、そんなふうに解釈したってことじゃないですか」と笑顔で流した。
声かけののち、上茶谷は糸原に四球を与え、近本には真ん中寄りに入った球を弾き返されて先制を許した。続く大山悠輔の犠牲フライで2点目を失ったが、ここから踏ん張り、徐々に立ち直っていく。
そのリードの一端を伊藤が明かす。
「もともとカミチャが得意としているカットボールを軸にしていきました。そのほうがリリースポイントが前になって(球の抜けを抑えられ)安定するかな、と。カミチャ自身も腕を下げるなりして、その日の状態に合った投げ方に修正してくれた。なんとか、もってくれてよかったです」
上茶谷の粘りの投球に打線も応え、5回に一挙7得点のビッグイニングをつくる。伊藤も内野安打を放った際には一塁にヘッドスライディングし、気迫を見せた。
打席数がさほど多くないとはいえ、現在の打率は.301。その要因に挙げるのは新たなバットだ。
「正直、ずっとやってきたことを大きく変えてはいないです。あるとすれば、大和さんにバットをいただいて。それとまったく同じ形のものをつくった結果がいまの成績なんです」
同じ右バッターで、打者として担う役割も似ている。そう考えた伊藤が、勝負強い打撃を見せる大和に「バットをもらってもいいですか」とお願いしたところ、快く3本のバットを譲ってくれたという。「大和さんのおかげですね」と伊藤は言った。
いま、ベイスターズは勝負が決まる長い連戦のさなかにいる。ラストスパートに向けての思いを、伊藤はこう語る。
「まずは、当たり前のことを当たり前にやるのが大前提。あとは気持ちですね。執念と言ってもいい。最後は気持ちが上回ったほうが勝つと思っていますし、自分を奮い立たせてやっていけるか、チームで束になって戦っていけるかどうかで変わってくると思います。いまになって固くなっても意味がないので、ベイスターズらしく、勢いのあるチームカラーをどんどん出していけば勝っていける。ぼくとしては毎日準備をして、いざ任されたときにしっかり結果を残すことがすべてだと思っています」
残すところ3週間、執念の追撃が続く。