コラム
逆境を越えた人間の強さ
――石田健大、再び先発として
2022/07/18
いつも表情が変わらないから、心の動きを察するのは難しい。
ただ、あの日のマウンドに立ったとき、石田健大は胸に強い思いを秘めていた。
3月30日、バンテリンドーム。開幕2カード目のドラゴンズ戦に先発した際の心境を、石田はこう振り返る。
「どん底を見た人の逆襲というか……逆境を越えた人間のね、強さみたいなものを見せたいなと思っていました」
過去に2度の開幕投手を務めた男は、どうやって“どん底”からの帰還を果たしたのか――。
2020年の石田は、中継ぎに専念、大車輪の活躍を見せた。自己最多の50試合に登板し、25ホールド。その年の秋、こう語っていた。
「いい場面で投げさせていただくことも増えて、充実していたし、すごく成長できる一年でした。こんなにホールドがつくことなんて想像もしていなかった。でも、まだまだ上には誰かしらいるわけで、ここで満足することはまったくない」
当然の流れとして、2021年は、引き続きセットアッパーの役割を託された。
ところが、シーズンの滑り出しからつまずいた。初登板から4戦連続で点を失い、早々に勝ちパターンから外れた。一時は安定を取り戻したが、5月から6月にかけて3戦連続で失点するなど、歯車はどこか嚙み合わない。そして6月21日、出場選手登録を抹消された。
石田が振り返る。
「うまくいかなかったので、ずっと、なんとかしようと思いながらやっているシーズンでした。悪い年はいままでもあったけど、ちょっと感覚が違うというか。体が動かなくなっていると感じていたし、いろんな引き出しを開けても、状態が上がらない。正直、これまでにはなかったことでした」
ままならないコンディショニング。やがて精神面にも影響は及んだ。「うまくいかない試合が続いていたなかでの気持ちの切り替えが下手だったのかな」と、石田はつぶやく。
シーズンの後半からは先発再転向の方針が打ち出され、仕切り直しの調整に勤しむこととなった。
思うに任せぬ日々、支えとなったのは捕手陣からの声かけだった。一軍にいる間も、ファームに落ちてからも、石田のことを気にかけ、常に言葉を送ってくれた。
「キャッチャーの言葉って、ピッチャーにすごく響くものなんです。(伊藤)光さんは、打たれたときにすぐに連絡をくれたし、よくバッテリーを組んでいたトバ(戸柱恭孝)さんは、いいことも悪いことも言ってくれる。いちばん年が近い嶺井(博希)さんも、気兼ねなく何でも言ってくれます。バッテリーを組んでいる、組んでいないは別として、3人いる年上のキャッチャーの方がコミュニケーションを取り続けてくれたことがすごく心強かった」
先発として久々にマウンドに立てたのは、シーズン終盤に差しかかった9月23日。対戦相手はスワローズだった。
3回までは順調に進んだが、4回、法政大の先輩に当たる西浦直亨に3ランを浴び、この回限りで降板。結局、これが昨シーズンの最後の登板となった。
4回3失点で負け投手という結果ながら、石田の捉え方はポジティブだ。
「ファームでやってきたことを出せる機会をいただけたので。あれがなかったら、やってきたことが正解なのか、不正解なのかがわからないまま過ごすことになっていた。それまでのぼくと比べると、状態も全然違うし、気持ちも上向きだったなと思います。イニングは短かったけど、実際にマウンドに立つことができたのはプラスでした」
一度限りの先発機会は、再起に至る道のりの一里塚となった。
昨シーズンからの流れのまま、オフは先発を想定してトレーニングに励んだ。中継ぎとして連日投げていたころは、疲労回復も考慮する必要があるため、どうしても運動量が落ちていた。だからこそ、冬の間に走り込んだ。
今シーズンにかける思いは例年以上に強く、「開幕ローテーションの6枠を奪い取らないといけない」と自らにハッパをかけた。春季キャンプでは、打者を打席に立たせての投球にも早い段階から取り組み、積極的にアピールした。
オープン戦2試合にいずれも先発として登板し、計8イニングで1失点。首脳陣に練習の成果を示しつつ、自身も手ごたえをつかんでいた。
その間に新たに武器となったのがカットボールだ。石田は言う。
「去年から少しずつ投げてみよう、と。もともと球種を増やすつもりはなかったけど、投球の幅が広がるし、このままじゃダメだということもわかっていたので、挑戦することにしました」
昨シーズンの段階では精度が低かったが、いつしか「勝手に投げられるようになってきた」。オープン戦でバッテリーを組んだ捕手たちも「使えるボールだな」と口にした。
準備を整えた石田は、晴れて開幕ローテーションの6人に名を連ねる。5戦目のドラゴンズ戦に先発登板、戸柱とバッテリーを組んだ。
目指してきた場所に立つことができた。その場所で、プロ入り8年目を迎えた左腕は好投を見せる。
7回まで投げ、2失点。2019年8月以来となる、先発としての勝ち星をつかんだ。
「どん底を見た人の逆襲」
「逆境を越えた人間の強さ」
見せたいものを見せられたマウンドだった。
2度目の登板も6回を1失点にまとめたが、ここで新型コロナウイルスに行く手を阻まれることになる。
4月上旬、陽性判定を受けて戦線を離脱した選手は多数いたが、その中でも石田は特殊な例だった。当初は濃厚接触者との判定。自主隔離の期間を終え、チームに合流したが、その直後に今度は陽性判定を受けたのだ。
症状はなかったが、ウイルスに翻弄され、「気持ちはちょっと落ちていた」。1週間後にようやく練習に復帰できるようになったが、状態をすぐに元に戻すのは難しくなっていた。
一軍復帰が6月までずれ込んだ経緯について、石田は言う。
「先発として長いイニング、球数を投げられるようにならないと一軍には上がれない。そのために徐々に筋量などを上げていくプランが組まれていました。ファームの仁志(敏久)監督からも『焦りが今後に響く』という話をいただいた。早く戻りたい気持ちはずっとありましたけど、しっかり調整して、ちゃんと投げられる体に戻すために時間がかかってしまいました」
復帰後初戦となった6月5日のイーグル戦から、おおむね安定した投球で先発としての役目を果たしてきた。「落ちていた筋肉が、試合で投げながら戻ってきた。いまやっとハマりだしたかなという感じです」と石田は話す。
その言葉を証明するかのような投球を見せたのが、7月12日のカープ戦だった。この日の石田は空振りを多く奪い、今シーズン自己最多の9奪三振を記録した。
「チームとしては広島に大きく負け越していましたけど、ぼく自身が広島に投げるのは初めて。そんなに嫌なイメージを持つことなくマウンドに上がることができました。いちばんよかったのは腕の振り。そのぶん球のキレも出て、ゾーン内で勝負できたことが空振りにつながったのかなと思います」
6回途中2失点で、勝ち投手の権利を持ってマウンドを降りた。「もっと長く投げたかった」との悔いは残るが、石田はこうも言う。
「もちろんゼロ(無失点)で抑えるのがベストですけど、体のキレが出なかった年の次の年なので。ベストを求めるよりは、いまの自分の体でできることを求めるべきなのかな、と。徐々にそういう考え方にシフトチェンジしてきました」
来年3月に30歳の誕生日を迎える石田。変わりつつある自身の肉体と向き合いながら、いまは欲張らないことも大事だと言い聞かせている。
「個人としては、チームが負けないピッチングをしっかりとしていきたいですし、中継ぎのしんどさは知っているので、1人でも多くアウトを取りたい。ただ、あまり欲張らずに、その日の自分のいいところを出していければと思います。チームとしては、1位をどれだけ追っていけるか。ヤクルトとの対戦も大事ですけど、それ以外のチームに勝っていかないと、手は届かない。チーム状態はいいので、勝てる試合を落とさないこと。キャプテンを中心に、いまの状態をキープしていけたらと思います」
苦難の谷から這い上がってきた左腕は、泰然自若。この先の道のりも、一歩ずつ着実に歩みを進めていく。