コラム
結果の世界を生き抜いて
――宮﨑敏郎が語る「感謝」と「責任」
2022/09/26
9月25日、ベイスターズにとっての今シーズン136試合目に、ひとつの事実が確定した。
スワローズ、2年連続のセ・リーグ制覇。
昨シーズンに続いて、喜びに沸く王者の声を間近に聞いた。夏からの追撃も及ばなかった。
「いまは悔しくてしょうがない」
三浦大輔監督が残したコメントがすべてだ。
試合は緊迫の投手戦となった。ベイスターズの先発、今永昇太は123球を費やして7回を無失点で投げ抜いた。スワローズの先発、小川泰弘も6回無失点。両軍の救援陣はゼロを並べる作業を引き継いだ。そうして9回裏に突入した。
内野安打とバントで1アウト二塁。E.エスコバーの外角直球を丸山和郁が弾き返す。打球は遊撃手の頭上を越え、二塁走者が本塁に駆け込んで、勝負は決した。
この日のベイスターズ打線は3安打。少ないながらチャンスはあったが、生かせなかった。
5番に入った宮﨑敏郎も、10試合ぶりのノーヒットに終わった。サヨナラ打を見届け三塁側のベンチに引き上げるとき、どんな思いが去来しただろうか。
昨シーズン途中、国内FA権を取得した。打線の要に、球団は6年という異例の長期契約を提示。その誠意に思いは固まり、“生涯横浜”の道を選ぶ。
宮﨑は言う。
「FA権を取った時点ではまず、ここまで育てていただいたこと、試合に出し続けていただいたことへの感謝の気持ちがいちばんに出てきました。それは間違いないです。一方で、選手として一生に一度、取れるか取れないかという権利なので……」
その先は言葉にしなかったが、プロ野球選手として揺れる思いがなかったわけではない。そこにもたらされた、球団からの大型契約。心の推移を、こう振り返る。
「ぼくも『まさか』と、びっくりしました。やっぱり、求められているところで野球がしたいという思いが強かったので、素直にうれしかった」
長期契約の1年目に当たる今シーズンは、例年以上に強い責任感が心を占める。だからこそ、春の離脱が悔やまれてならない。
宮﨑が左太もも裏を痛めて途中交代したのは、4月19日のタイガース戦。しばらく一軍帯同を続けながら様子を見たが、同23日に出場選手登録を抹消された。
「筋肉系のトラブルは何年かぶりのこと。以前にも痛めたことのある箇所でした。再発させないことを意識してケアや強化に取り組んできたので、ショックは大きかったですね。チームに迷惑をかけたな、という思いがあります」
一軍復帰は5月15日。「正直、いまでも怖さはある」と話すが、求められている自覚がグラウンドに向かわせた。
コンディションに不安を抱えつつも、高い水準の打撃成績を収め続けた。セ・リーグの打率ランキングに常に顔を出し、スタメン出場を重ねてきた。
ただ、もちろん苦渋の時間も経験した。
一軍に復帰してからスタメンを外れた試合が3度だけある。すべてタイガース戦で、青柳晃洋が先発した試合だ。過去の対戦成績を踏まえての、首脳陣の判断だった。
宮﨑は潔く話す。
「それに関しては、特に何も……。プロ野球は結果の世界なので、打てなければ試合に出られないのは当たり前。三浦監督には『あとから行くから準備しておいてくれよ』とだけ言われました」
そう言うと、「単にぼくが打てないってだけですよ」と笑顔で付け足した。
打てなければ試合に出られない――。そのことを最も痛感していたのは、2017年のシーズンだっただろう。
プロ野球のキャリアの中でのターニングポイントとして挙げる、重要なシーズン。当時をこう振り返る。
「もちろん開幕スタメンでもなかったですし、前年もずっと一軍にいたわけでもなかった。必死に食らいついていく毎日。なんとか結果を残さないといけないという思いでやってきた」
2017年時点で入団からすでに5年目だったが、社会人出身の宮﨑が立っている足場はまだ固まっていなかった。「2~3年で終わるだろうな、というところからのスタート」。脱落の危険と常に隣り合わせだった。
A.ラミレス前監督が就任した2016年、宮﨑の才能は開花し始める。翌年にかけて、指揮官の厳しい見極めに結果で応えた。レギュラーの座をついに奪い、セ・リーグ首位打者のタイトルを獲得。以降、安定の軌道に乗った。
例年どおり3割前後の打率をキープしてきた今シーズンだが、9月を迎えるころになって打撃の調子を落とした。
同月1日から14日までの成績を切り出すと、47打数7安打の打率.149。2試合にまたがって3打席連続で併殺に倒れたこともあった。
この時期の状況を、宮﨑はこう振り返る。
「焦りもありましたし、チームに迷惑をかけないようにという思いもありました。打てないなかでもチーム打撃をしたり……。なんとかよくしようと思って、いろんな引き出しを開けつつ、毎打席、毎球、構え方やタイミングの取り方を少しずつ変えて。(いまの自分に合うものを)探しながらやってる、という感じでした」
長年にわたって打撃の感触を書き込み続けてきたノートを開き、打席に立つ自身の姿を映像で確認した。「頭で考えている打撃フォームと、映像で見る打撃フォームの差が大きくなっていた」。ここからは、しばしば天才と呼ばれる男の、繊細かつ感覚的な作業だ。
「こうなったらこうなるよ。こうなったらこうだよね。そういうものを確認しながら、一つずつ試していった感じです。感覚がいいものを採り入れて継続する」
一球ごとの微調整で、徐々に本来の形を取り戻していく。9月16日から25日の成績は、36打数13安打の.361まで持ち直した。
その作業の過程において、貴重なヒントをくれた打者がいるという。宮﨑は敬意を込めてフルネームで言う。
「牧秀悟に打撃を聞いたんです。9月に入る前後だったかな。そこからもヒントをもらえた」
ある日の練習中、10歳近くも年下の打者に質問をぶつけた。
「いま、どんな感じで打ってる?」
そこから始まった2人の対話は「右半身を使っているか、使っていないか」というテーマに行き着いた。宮﨑は言う。
「本人がどう感じたかはわからないですけど、意識しているところは似てるのかな、と。『あ、いっしょだね』『やっぱりそうだよね』という感じになることが多いので。右半身の話になったときも『なるほど』というヒントをいただいた。“牧さん”にはだいぶ感謝をしています」
好打者と見れば、年齢など構わず耳を傾ける。それもまた、宮﨑が高いレベルであり続けている理由の一つだろう。
こうして本来のスイングを取り戻しつつあった9月17日、カープ戦の第1打席で節目の記録が達成された。
ふらふらとライト前方に上がった打球は、滑り込んだ右翼手のグラブからこぼれ、Hランプが灯る。これがプロ通算1000本目の安打となり、同時に通算400打点を記録した。
ただ本人に、特別な感慨はないようだ。
「そもそも自分がここまでやれるという想像がつかなかったし、だからこそ(1000安打を)意識もしていなかった。あの打席も、なんとかバットに当てて前に飛ばそうという思いだけでした」
それにしても「2~3年で終わるだろうな」という選手が、どうしてここまで来られたのか。自分の努力はさて置いて、宮﨑はこう答えた。
「我慢して使ってもらったと思います。歴代の監督さんも、いまの監督さんも、コーチの人も、裏方さんも、トレーナーさんも。大きな離脱をすることなく、サポートしていただいた。それがいちばんじゃないかな」
現在の打撃の状態については、独特の表現を交えてこう話す。
「結果はどうあれ、しっかり自分のスイングができる打席が続いている。特に、ファウルがいいですね。右方向に飛ぶファウルの感触が、自分の中ではいいなあと思っています」
スワローズのリーグ優勝、そしてベイスターズの2位が確定したいま、次なる目標は2022 JERA クライマックスシリーズ セの突破となる。相手がどこになろうと、宮﨑の確実性はベイスターズ打線に不可欠な要素だ。
「勝つために自分たちが何をしないといけないのか。何を求められているのか。それを理解して、ファンの方たちの期待に沿えるような結果を出す。そういう思いでやっていくだけです」
気持ちを奮い立たせ、もう一度、横浜反撃――。
秋の決戦、本拠地に乾いた快音を響かせてほしい。