コラム
クセになる声援を、もう一度
――帰ってきた藤田一也
2022/04/18
2012年6月11日――。
藤田一也は、ベイスターズの「7番・遊撃手」としてイーグルス戦のスターティングメンバーに名を連ねていた。先発を務めたのは田中健二朗で、試合には敗れた。その後しばらくの間、ビジターゲームが続いた。
ベイスターズのユニフォームを身にまとい、横浜スタジアムのグラウンドに立つ藤田の姿が長年にわたり見られなくなることを、このとき誰も知らなかった。
イーグルスへのトレード移籍が公になったのは、同26日のことだった。
あれから10年近くの歳月が過ぎた、2022年4月15日。
ベイスターズの藤田が横浜スタジアムに帰ってきた。1点ビハインドの8回、代打としてその名前はコールされた。
「横浜スタジアムで久しぶりの出場。温かい声援と拍手をもらって、本当にいいムードの中で打席に立つことができました」
スワローズのセットアッパー、清水昇とは初対戦。4球目、外寄りのフォークに食らいついてレフト前に運ぶと、雄たけびをあげながら一塁に到達した。ベンチの仲間たちも立ち上がって、藤田の復帰後初ヒットをともに喜んだ。
「(横浜の)ファンの皆さんの前で打ててうれしかった。まだまだシーズンは長いので、チーム、ファンの期待に応えられるようなバッティングをしていきたい」
イーグルスへの移籍は、結果的には大きな転機となった。
ベイスターズでは成し得なかったレギュラー獲得を実現させ、移籍2年目の2013年にはキャリア初の規定打席到達。リーグ優勝・日本一の夢も叶えた。翌2014年には全試合出場を果たしたほか、ゴールデングラブ賞(二塁手部門)を3度受賞するなど、チームに欠かせない存在となった。
しかし、近年は出場機会が減っていた。2020年は55試合に出場したが、スタメンはゼロ。昨シーズンにいたっては、プロ入り後初めて、一軍での出場機会を一度も得られなかった。
「いつ一軍から声がかかってもいいように。そういうモチベーションだけは切らないようにしていたんですけど……」
秋口、「プレーヤー以外のポジションで」球団に残る道を提示された。誠意を受け止めつつも、心の中には現役続行への思いが強くあった。
昨シーズンの時点でキャリアは17年。やりきったとは思わなかったか。そんな問いに、藤田はこう答える。
「一軍のグラウンドで、満員のファンの前でプレーをすることって、すごくクセになるというか、やっぱり気持ちいいんです。優勝したときはもっと特別ですよね。去年はその舞台に一度も立てなかったという悔しさがありました。あのクセになる声援をもう一回、味わいたい。そういう思いが自分を動かしてくれている」
ベイスターズからの獲得のオファーは早々に来た。コーチ兼任などではなく、あくまで現役の選手として。両者の思いが一致して、藤田のベイスターズ復帰は決まった。
イーグルスへ移籍したのは29歳のとき。ベイスターズに復帰した藤田は39歳になった。なのに、あっさりとこう言う。
「(自分は)何も変わってないですね」
一軍の戦力として1試合でも多く出場する。その一念を具現化するために力を尽くす。どれだけ年齢を重ねようとも、プロ野球選手としての核に変化はない。
ただ、もちろんベイスターズの面々はがらりと変わっていた。「古巣に帰ってきたというよりも、新しいチームに来たなという気持ち。人見知りなので、はじめはすごく気を使いました」と藤田は苦笑する。
春季キャンプは一軍でスタートしたが、左ふくらはぎの張りのため途中からファームに移り、そのまま開幕を迎えることになった。
今月、一軍の主力選手が相次いで新型コロナウイルスの陽性判定を受けたことに伴い、ファームから多くの選手が一軍に昇格した。その中に、藤田の名前もあった。
最初の試合は那覇でのジャイアンツ戦。沖縄へと向かうバッグの中に、古いグラブをそっと入れた。刺繍された「23」は、かつてベイスターズで着けていた背番号だ。
「グラブは実家に何個か置いてあるんです。正月に帰ったとき、全部に手を入れてみて、試合用に育つかなというグラブを探す。すごくこだわりはありますね。いちばんは信頼できるグラブかどうか。それがいまは横浜時代のグラブで、しっくり来ている。ここ3、4年はあのグラブを使っています」
一軍に合流すると、三浦大輔監督からこう声をかけられた。
「こういう状況だし、ベテランのいいところを見せてくれ。頼んだぞ」
藤田は大和の5年先輩にあたり、チーム内では頭ひとつ抜けて最年長だ。ただ、そのことを強く意識はしていないという。
「現役選手としてユニフォームを着させていただいている以上は、みんなライバルだし、若い選手に負けないって気持ちでやっています。そうして切磋琢磨することによって、チームのレベルもどんどん上がっていくと思う。自分も(ほかの選手の)対抗馬でいたい」
藤田が思い描くベテラン像とは――。そう問われて蘇るのは、若手時代、ベンチから見た光景だ。
「(ベイスターズに)入団したとき、ショートのレギュラーは石井琢朗さんでした。同期入団の石川雄洋もレギュラーを張った。そういう姿をぼくはベンチからずっと見ていました。レギュラーというのはどんなときでも、ときにはケガを隠してでも試合に出続けないといけない。石井琢朗さんも石川雄洋も、そういう姿を見せてくれていましたし、ぼくになかなかチャンスを与えてくれなかったというのは、すごく印象に残っています。ぼくは30歳を超えてから、短い期間ではあるけど楽天でレギュラーを獲れた。そのときも、若い選手にチャンスを与えないようにプレーしていました」
きっと、藤田にとってのベテランとは「壁」となるべき存在のことなのだろう。だからこそ、39歳のいまも年下の選手たちの「対抗馬」であり続けたいと思うのだ。
かつて大きな「壁」として立ちはだかった石井とは、コーチと選手という関係性になった。一軍に合流してきた藤田に、石井は冗談交じりにこう話したという。
「若い選手の守備に対する意識とか技術のことは、お前に任せたよ。若い選手がエラーしたらお前のせいな」
石井からのメッセージに対し、藤田は言う。
「まだ1週間ぐらいしか一軍にいないので、若い選手とコミュニケーションを取る機会は少ないですけど、自分が気がついたことは声をかけるようにしています。さっきも話したように、みんなで競争しながら強いベイスターズをつくっていければいい。何か聞かれたら、自分の思っていることをすべて伝えて、その選手にとって一つでも、少しでもプラスになってくれたらいいかなって」
ただ、「自分が結果を残さないと、そういうコミュニケーションもなかなか取れない」とも話す。
藤田自身は、ここまで4試合に出場し、8打数2安打。4月17日のスワローズ戦では、同点の8回1アウト満塁で打席に立つも併殺に倒れた。
チャンスをつかみきれていない現状に、歯噛みするように言う。
「いいところで使ってもらっているのに、その期待にまだ応えられていないので悔しい」
それでも、一軍にいられていることを生かさない手はない。前を向いて、意気込みを新たにする。
「この悔しさはこれからの試合にぶつけます。主力が帰ってきたときに、チームのレベルが上がったな、選手層が厚くなったなとファンの方々に思ってもらえるようなプレーをしたいし、そういう結果を残せるようにしっかりやっていきたい。優勝という目標に向かって、チーム全体で横浜を、野球ファンを盛り上げていきたいなと思います」
横浜で優勝――。やり残した使命を果たすための戦いに、背番号「3」は全身全霊で挑む。