4月4日(水)~5日(木)対阪神タイガース戦にて行われるスペシャルイベント『HAMASTA 40th ANNIVERSARY』にて、『HAMASTA 40th ANNIVERSARY CEREMONY』の開催が決定しましたのでお知らせいたします。
試合前には横浜スタジアムの40年の歴史を築いてきたレジェンドOB達が、当時のハマスタの思い出を紡ぐコンセプトムービーを上映。
始球式には横浜DeNAベイスターズ高田繁GM、阪神タイガースOBの桧山進次郎氏にご登場いただき、40年前のハマスタのこけら落とし、20周年の1998年4月4日の対戦を一打席対決の真剣勝負で再現いたします。
また、試合中のイニング間にはレジェンドOBによる40周年のお祝いメッセージをビジョンにて上映。
40周年の貴重な映像、イベントをお見逃しなく!皆さまのご来場をお待ちしております!
開催日 |
対戦チーム |
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4月4日(水)~5日(木) | 阪神タイガース |
実施時間 |
イベント |
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試合前(17:30頃~) |
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試合中(イニング間) | ・レジェンドOBによる40周年のお祝いメッセージ上映 |
横浜スタジアムのこけら落としとなった1978年4月4日の対読売ジャイアンツ戦、20周年となる1998年4月4日の対阪神タイガース戦で行われた対戦を当時のユニフォームを着用し、一打席対決で再現いたします。
開催日 |
レジェンドOB |
写 真 |
1978年4月4日の成績 |
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4月4日(水) | 齊藤明雄氏 | 先発投手として出場し、強力なジャイアンツ打線から8三振を奪い、6安打1失点に抑えての完投勝利。記念すべきハマスタのこけら落としに勝利をもたらした。 | |
高田繁GM | 読売ジャイアンツの6番サードとしてスタメン出場。チームは敗れたものの、4打数2安打と気を吐き齊藤明雄投手を苦しめた。 |
「横浜スタジアム40周年おめでとうございます。1978年4月4日の横浜スタジアムのこけら落としに先発し、強力なジャイアンツ打線を相手に完投勝利したことは、今でも記憶に残っています。その日は完投勝利したものの、高田さんには2安打されていますので、40周年の記念日には三振を奪い、リベンジしたいと思います」
花園高校、大阪商業大学を経て、1976年ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。1977年は新人ながら読売ジャイアンツ戦で完封勝利を挙げるなど活躍し、新人王を獲得。横浜大洋ホエールズとなった1978年には横浜スタジアムでのこけら落としに先発し、完投勝利を収める。先発、抑えとフル回転し、1988年には右投手ではプロ野球史上初の100勝100セーブを達成。トレードマークである口ひげから「ヒゲの齊藤」とファンから愛された。
1955年2月23日生まれ/63歳/右投右打/投手/京都府京都市出身
1976年ドラフト1位(大洋ホエールズ)
選手歴:花園高校~大阪商業大学~大洋ホエールズ~横浜大洋ホエールズ~横浜ベイスターズ
NPB通算成績:601登板128勝 125敗 133セーブ 防御率3.52
主な表彰:最優秀新人1977年/最優秀防御率投手1982年/最優秀救援投手1983、86年
「横浜スタジアム40周年おめでとうございます。新しく完成した横浜スタジアムのグラウンドに立ち、その広さとフェンスの高さに驚き、これはホームランは打てないなと圧倒された事を覚えています。当時の齊藤くんはスライダーがすごく良いピッチャーで、ジャイアンツ打線は苦しめられました。チームからはそのスライダーを狙えと指示があったのですが、ストレートを得意とする私はなかなか打てなかった事を思い出します(笑)
今回の対決では当時を思い出しながら、スライダーを狙いヒットを打ちたいですね。真剣勝負で対戦させてもらい、横浜スタジアムの40周年を少しでも盛り上げる事ができればと思います。」
浪商高校、明治大学を経て、1967年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目からレギュラーに定着し、打率.301、23盗塁など活躍して新人王を獲得。以後、走攻守の三拍子揃った選手としてV9時代の読売ジャイアンツを支えた。引退後は、日本ハムファイターズの監督、読売ジャイアンツではヘッドコーチなどを務めた後、2005年に北海道日本ハムファイターズで日本初のゼネラルマネージャーに就任し、2006年の日本一に貢献。2011年11月から、横浜DeNAベイスターズのGMに就任し、チームを強化し続けている。
1945年7月24日生まれ/72歳/右投右打/外野手、三塁手/大阪府大阪市出身
1967年ドラフト1位(読売ジャイアンツ)
選手歴:浪商高校~明治大学~読売ジャイアンツ
NPB通算成績:1512試合 1384安打 139本塁打 499打点 200盗塁 打率.273
開催日 |
レジェンドOB |
写 真 |
1998年4月4日の成績 |
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4月5日(木) | 三浦大輔氏 | 先発投手として出場し、6回1/3を7安打1失点に抑えて横浜スタジアム20周年の記念となる試合での勝利投手となった。 | |
桧山進次郎氏 | 阪神タイガースの2番ライトとしてスタメン出場。当日の三浦投手との対戦では1三振2四球。 |
「ベイスターズが優勝した1998年の4月4日は横浜スタジアムの20周年、そして自分が先発して勝ち星を挙げた試合だったので、この記念すべきイベントのマウンドに立てるのはとても光栄です。現役当時、桧山さんには良く打たれた印象が残っているので、対戦相手に指名させていただきました。忘れもしない2012年5月12日。8回までノーヒットピッチング、最終回に桧山さんが代打で登場され、ヒットを打たれてノーヒットノーランを阻止された試合。今でもハッキリ覚えています!今回はあの時を思い出しながら、桧山さんとの対戦を楽しみたいと思います!
ヨ・ロ・シ・ク!!」
高田商業高校から1991年ドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。1年目の10月7日横浜大洋ホエールズとして最後の公式戦(横浜スタジアム)でプロ初登板。1995年から先発ローテーションに加わり、エースナンバー「18」を手にした1998年には12勝を挙げて優勝に貢献した。25年間、横浜一筋で現役生活を終え、「ハマの番長」と愛され続けてている。
1973年12月25日生まれ/44歳/右投右打/投手/奈良県橿原市出身
1991年ドラフト1位(横浜大洋ホエールズ)
選手歴:高田商業高校~横浜大洋ホエールズ~横浜ベイスターズ~横浜DeNAベイスターズ
NPB通算成績:535登板172勝 184敗 防御率3.60
主な表彰:最優秀防御率投手2005年/最多奪三振2005年
「横浜スタジアム40周年おめでとうございます。この度、三浦くんから指名をいただき、記念すべきイベントで打席に立たせていただくことになりました。ノーヒットノーランを破った試合の事も良く覚えています。9回の先頭打者として代打に送られ2点差の状況。チームのため、まずは塁に出る事を考えていました。3-1とボールが先行した状況となり、三浦くんはノーヒットノーランを達成することよりも、チームの勝利のために四球は絶対に出してはいけないと考えているはずだとストレート一本に絞り、フルカウントからのストレートを捉えることができました。
今回は横浜スタジアム40周年のお祝いの日ではありますが、今年の阪神タイガースの打線に火をつけるべく、当日は本気でヒットを狙いに行きます!」
平安高校、東洋大学を経て1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。2001年から2003年までの3年間選手会長に就任し、2003年に4番に抜擢されると対中日戦で史上58人目のサイクル安打を達成。18年ぶりのリーグ優勝へチームを導き、日本シリーズでも4番として出場し、その活躍から優秀選手賞を受賞。2005年にもリーグ優勝を果たし、2006年以降は活躍の場を代打に移し、その活躍から「代打の神様」と称されるようになった。
1969年7月1日生まれ/48歳/右投左打/外野手/京都府京都市出身
1991年ドラフト4位(阪神タイガース)
選手歴:平安高~東洋大~阪神タイガース
NPB通算成績:1959試合 1263安打 159本塁打 707打点 打率.260
『HAMASTA 40th ANNIVERSARY CEREMONY』の開催にあたり、横浜スタジアムで活躍されたレジェンドDJの栗原治久氏、ケチャップ氏をお招きし、当日のセレモニーを盛り上げていただきます。
開催日 |
スペシャルDJ |
写 真 |
ハマスタDJ歴・プロフィール |
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4月4日(水) | 栗原治久氏 | DJ/パーソナリティ1993年FMヨコハマDJとしてラジオデビュー。2000年~2012年 横浜ベイスターズ(横浜DeNAベイスターズ)スタジアムDJ。現在はFMヨコハマ「プライムタイム」(月)~(木)19:00―22:00メインパーソナリティ | |
4月5日(木) | ケチャップ氏 | 2003年~2012年横浜スタジアム、横須賀スタジアムでのDJを務め球場を盛り上げた。現在は野球だけにとどまらず、サッカー、テニス、ランニング、フェンシングなど幅広いジャンルにてスポーツDJ、スタジアムDJ、スポーツアナウンサー、ラジオパーソナリティなどあらゆる分野で活躍する。 |
□『HAMASTA 40th ANNIVERSARY』概要 横浜スタジアムは1978年に竣工し、今年で40周年を迎えます。
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