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コラム

幸せを噛みしめて
――宮國椋丞、11年目のリスタート

2021/09/13

 2012年8月5日、第1回の『YOKOHAMA STAR☆NIGHT』最終日――。

  ベイスターズはジャイアンツに接戦のすえ敗れ、同一カード3連敗を喫した。8回2失点の三浦大輔が負け投手となった一戦で、白星を奪ったのはジャイアンツの先発、宮國椋丞だった。当時プロ2年目の20歳。7回1失点の好投だった。

 9年後の2021年9月7日、宮國は、三浦が監督を務めるベイスターズの先発として横浜スタジアムのマウンドに立っていた。10回目を迎えた『YOKOHAMA STAR☆NIGHT』の初戦、相手はジャイアンツ。

 不思議なめぐり合わせに、宮國は言う。

「(2012年)当時は考えてもみないようなこと。これも運命なのかなって」

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これからどうしていくべきなのか。

 高卒でジャイアンツに入団した宮國は、若くして頭角を現した。2年目には開幕ローテーションに入り、10代にして初登板初勝利。完封を含む6勝を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献した。

 3年目も6勝したが、成績は徐々に下降線をたどる。5年目以降は主に中継ぎを務めるようになった。10年目だった昨シーズンは、先発1試合を含む21試合に登板。0勝0敗、防御率5.33。10月に右肩のコンディション不良で登録を抹消され、そのまま終幕を迎えた。

 そして、来シーズンの戦力構想に入っていないことを通告された。

「戦力外になるんじゃないかということは、自分の中でも少しはあったので、そこまで驚くことはなかったですけど……ショックは大きかったですね」

 ある程度の覚悟はできていたが、10年間在籍したチームを去らねばならない現実には打ちひしがれた。これからどうしていくべきなのか、自問した。

 宮國は、野球を続けたいと思った。理由の一つは、右肩の状態だった。

「投げられない痛みじゃなかった。時間が経てば、また元のように戻れる感覚があったので、挑戦させていただきました」

 トライアウトを受験したが獲得球団は現れず、都内の公園や地元の沖縄で練習を続けた。今年1月には、ジャイアンツ時代の先輩である内海哲也の自主トレに参加。右肩の状態は徐々に回復したが、どこからも獲得のオファーがないまま、時間が過ぎていった。

待望の連絡があったのは、開幕も間近に迫った3月。ベイスターズからの入団テストの打診だった。

 ベイスターズの関係者が自身に関心を寄せていることはまったく知らなかったという。

「びっくりしました。時期も時期だったので」

 テストの結果、宮國は背番号「106」をつけた育成選手として、再スタートを切ることになった。

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「段違いの数値が出るようになった」

「育成選手だからどうこうっていうのは、まったくなかったです。声をかけていただいて、またプロ野球の世界で勝負できるということが、いままででいちばんと言ってもいいくらいうれしかった。あとは自分ががんばればいいだけだ、と。(球団に)入れたことが奇跡というか」

控えめな性格だが、ベイスターズにはすんなり溶け込めた。「沖縄の人がいっぱいいて、しゃべりやすい環境」。嶺井博希や、糸満高の後輩である神里和毅らの存在が助けになった。

 キャリア11年目にして初めてジャイアンツ以外のチームに所属した。その始まりの日々を、宮國はこう振り返る。

「いまもですけど、毎日、新鮮な感じがします。特に、一人の選手に対してファームのコーチや、分析を担当するR&Dの方、トレーナーさんだったりがすごく時間を割いてくれる。ここまで親身になって指導してくれるんだなと、すごく感動したというか、衝撃を受けました」

 4月に29歳となった右腕は着実な成長を見せる。当初の課題は「出力を上げること」。スタッフの全面的なサポートを受けながらトレーニングを重ねると、その成果は如実に出た。

「取り組んできたことが明確に数値に表れたんです。出力もそうですし、球の回転数や回転軸、ホップ成分だったり。すべてにおいて、入団した当初から比べると段違いの数値が出るようになりました。バッターの反応もいままでと違うなと肌で感じています。自分でも、この短期間でよくここまで上がったなって」

 新しい環境に飛び込み、成長が数字でも見える。試合に登板するたび、よくなっている感覚がある。毎日が充実していた。

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プロ野球で投げられていること自体が幸せ。

 8月1日、エキシビションマッチのイーグルス戦で先発した。公式戦ではないが、久々の一軍の舞台。5回を投げ、6失点という結果に終わった。

 ただ、宮國本人はまったく落ち込んでいなかった。

「下を向いたり、マイナスな感じはぼくの中ではなかった。それよりも、一軍で投げられる楽しさ、お客さんがたくさん入っている試合で投げる喜びだったりを感じることができた。あの試合はモチベーションにつながりました」

 同28日、イースタン・リーグのジャイアンツ戦で、6回無失点と好投。その翌日、球団から支配下登録の通達を受けた。

 今シーズンの支配下登録期限は8月31日。ギリギリでの朗報だった。

「びっくりしたし、うれしかったです。でも、どういう結果であれ、しっかり受け止められていたと思います。去年11月から今年2月くらいまでの4~5カ月間のことを思えば、プロ野球で投げられていること自体が幸せなことなので」

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 一軍での初登板は、9月7日のジャイアンツ戦に決まった。相手の先発は、「その背中をずっと目標にしてきた」菅野智之だ。

「(ジャイアンツが)中5日で回していくという報道を見て、計算していったら『あれ、菅野さんじゃないか?』って。すごくいい機会をいただいた。成長した姿を見せられるようにという気持ちでマウンドに上がりました」

 当日、不思議と緊張感はなく、「自分でも意外なほど冷静だった」。この日のテーマは「粘り強く」。失点を少なく抑えれば、強力な打撃陣が菅野を攻略してくれると信じていた。

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菅野との、言葉なき会話。

 初回、先頭の松原聖弥にヒットを打たれ、盗塁も決められてピンチを迎えた。吉川尚輝、岡本和真に連打を浴びて2失点。「狙ったところより中に入ってしまう部分が目立った」。裏の攻撃は三者凡退。劣勢からのスタートとなった。

 2回の攻撃。宮國は2アウト満塁で打席に入った。打者として投手菅野の球を見るのは初めてだ。苦笑を浮かべつつ、対戦を振り返る。

「初球から変化球で来て、2球目は腕を振ったまっすぐ。あの試合で最速の150km台の球でした。『相当打たれたくないんだろうな』って」

 本気の菅野が投げる球にバットを当てることすらできなかった。その直後、3回表の先頭打者は菅野。立つ場所を変えて再び向き合い、3球目のカーブをセンター前に弾き返された。

 かつてチームメイトとしてキャッチボールをしていたふたりの顔に微かな笑みが浮かぶ。言葉なき会話が交わされているかのようだった。

「お互い、打席に立ったり投げ合ったりすることを楽しんでいた部分はあると思います。たぶんですけど。少なくともぼくは楽しんでいました」

 この回、2アウト二塁となって打席に吉川を迎えた。初球、捕手の山本祐大がミットを構えた内角へ、ストレートが決まる。

「尚輝は広角に打てるバッター。どこかを先に意識させておかないといけない。祐大とも相談して、インサイドを意識させて、外に落としたり曲げたりという組み立てを考えていました」

 2球目も、プランどおりヒザ元へのスライダーを投げきった。勝負球は外角のフォーク。制球は冴え、ピッチャーゴロでピンチをしのいだ。

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「いい刺激をくれて、ありがとう」

 4回には、Z.ウィーラーにシュートを打たせ、狙いどおりの併殺で1アウト一二塁の危機を回避。5回も、前の打席で内角を意識させておいた吉川の外角を攻め、無失点に抑えた。多彩な球種と両サイドへの精緻なコントロールで、テーマとしていた粘り強さを体現した。

 打線は5回、宮﨑敏郎、N.ソトのタイムリーに続いて山本のスクイズ、さらに代打楠本泰史の3ランが飛び出し、一挙7得点。勝負を決定づけた。

 宮國は言う。

「初回に2点取られましたけど、そこでズルズル行かなかったことは成長だったと思います。ゾーン内で勝負できたことも、少ない球数(5回76球)につながりました。ジャイアンツ時代とは違うピッチングスタイルができたかなと思います」

 新天地で1勝をつかんだ宮國のもとへは、たくさんの祝福のメッセージが届いた。1月、自主トレに誘ってくれた内海からもLINEで連絡があった。

「ぼく以上に喜んでくれていましたね。『今日の試合を見て、おれもがんばらなきゃって気持ちになった。いい刺激をくれて、ありがとう』と」

 戦力外通告と、所属先が見つからぬままの越冬。苦節を経て一軍の舞台に帰ってきた宮國は、勝利のうれしさ以上に「感謝」を口にする。ジャイアンツ時代のチームメイト、孤独な練習に付き合ってくれた人たち、そしてまっさらなユニフォームを用意し、成長へと導いてくれたベイスターズへ「結果で恩返しがしたい」。

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一度はすべてを失いかけた身だからこそ、心は澄みわたっている。

「いちばんは気持ちの部分が変わりました。ほんとに野球が楽しくて仕方ない。常に楽しくプレーできていることが、いい結果につながっているとぼくは思っています。これからも野球を、投球を楽しんで、チームの勝利に少しでも貢献できるようなピッチングができれば」

 横浜の空に、まぶしい星がひとつ加わった。